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平戸 (防護巡洋艦) 目次 艦歴 艦長 同型艦 脚注 参考資料 関連項目 案内メニューアジア歴史資料センター(公式)編歴

筑摩型防護巡洋艦1911年進水船1912年竣工船川崎重工業建造の船舶第一次世界大戦の艦船


日本海軍防護巡洋艦筑摩型川崎造船所巡洋艦タービン第一次世界大戦南洋諸島南シナ海南太平洋1925年1937年中国1932年第一次上海事変熱河海軍兵学校1943年岩国1945年1月5日4月20日サルベージ岩国港










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平戸 (防護巡洋艦)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』






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Japanese cruiser Hirado 1918.jpg
艦歴
発注1907年度計画
起工
1910年8月10日
進水
1911年6月29日
就役
1912年6月17日
除籍
1940年4月1日
その後
1947年 解体
性能諸元
排水量常備:5,000トン
全長
144.8 m / 134.1m(垂線間長)/140.5m(水線長)
全幅14.2m
吃水5.1m
機関イ号艦本式混焼罐×16基
カーチス式タービン直結方式×2基、2軸推進、22,500hp馬力
燃料
最大速力26.0kt
航続距離
乗員414名
兵装45口径15.2cm単装砲8門
40口径7.6cm単装砲4門
45.7cm水上魚雷発射管3門
装甲舷側:89mm
甲板水平部:22mm
甲板傾斜部:57mm
司令塔:102mm
その他信号符字:GQHS(竣工時)[1]

平戸(ひらと[2])は、日本海軍の防護巡洋艦。筑摩型の3番艦である。




目次





  • 1 艦歴


  • 2 艦長


  • 3 同型艦


  • 4 脚注


  • 5 参考資料


  • 6 関連項目




艦歴


1910年、神戸川崎造船所で起工、1912年6月17日に竣工し、二等巡洋艦に類別。日本海軍の巡洋艦として初めてタービン機関を採用し、同型艦三隻にはそれぞれ異なるタイプの機関を搭載している。


第一次世界大戦では、南洋諸島占領作戦に参加、さらに南シナ海、南太平洋方面の作戦に従事した。1925年から1937年までおもに中国水域の警備活動に従事。


1932年の第一次上海事変に際しては熱河作戦の支援を行った。


1940年4月1日に除籍され廃艦第11号と仮称、海軍兵学校に繋留し練習船として使用した。


1943年12月には兵学校岩国分校に回航し終戦を迎えた。


1945年に浸水着底し、1947年1月5日から4月20日にかけて東京サルベージにより解体され、船体は岩国港の防波堤となった。



艦長


※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。



  • 山中柴吉 大佐:1912年3月9日 - 12月1日
兼海軍艦政本部艤装員(1912年3月9日 - 6月17日)

兼呉海軍工廠艤装員(1912年6月17日 - 7月31日)

  • 野村房次郎 大佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日

  • 幸田銈太郎 大佐:1913年12月1日 -

  • 金丸清緝 大佐:1914年12月1日 - 1915年12月13日

  • 生野太郎八 大佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日

  • (心得)小林躋造 中佐:1916年12月1日 - 1917年4月1日

  • 小林躋造 大佐:1917年4月1日 - 1917年12月1日


  • 菅沼周次郎 大佐:1917年12月1日 - 1918年12月1日

  • 小山武 大佐:1918年12月1日 - 1919年5月26日


  • 寺岡平吾 大佐:1919年5月26日 - 1919年6月10日[3]

  • 志賀巳之治 大佐:1919年6月10日[3] - 1919年12月1日[4]


  • 永野修身 大佐:1919年12月1日[4] - 1920年12月1日

  • 松坂茂 大佐:1920年12月1日[5] - 1922年3月15日[6]

  • (兼)高倉正治 大佐:1922年3月15日[6] - 1922年5月15日[7]

  • 松本匠 大佐:1922年5月15日 - 1923年4月1日


  • 金子養三 大佐:1923年4月1日 - 1923年7月20日


  • 鹿江三郎 大佐:1923年7月20日 - 1924年3月25日


  • 吉田善吾 大佐:1924年3月25日 - 1924年12月1日

  • 福島貫三 大佐:1924年12月1日[8] - 1925年2月2日[9]

  • 石田正一 中佐:1925年2月2日[9] - 1925年4月15日[10]

  • 北川清 中佐:1925年4月15日 - 1925年10月15日

  • (兼)今川真金 大佐:1925年10月15日[11] - 1925年11月20日[12]

  • (兼)山口延一 大佐:1925年11月20日 - 1925年12月1日

  • 柴山司馬 大佐:1925年12月1日 - 1926年6月1日

  • 片山登 大佐:1926年6月1日 - 1927年9月28日

  • 瀬崎仁平 大佐:1927年9月28日 - 1928年4月1日

  • 羽仁潔 大佐:1928年4月1日[13] - 1928年12月10日[14]

  • 下村敬三郎 大佐:1928年12月10日[14] - 1929年11月20日[15]

  • 渋谷荘司 大佐:1929年11月20日[15] - 1930年11月20日[16]

  • 丹下薫二 大佐:1930年11月20日 - 1932年5月10日


  • 藤森清一朗 大佐:1932年5月10日 - 1933年4月1日

  • 大島乾四郎 大佐:1933年4月1日 - 1933年8月25日

  • 平岡粂一 中佐:1933年8月25日 - 1934年6月1日

  • (兼)大橋五郎 中佐:1934年6月1日[17] - 1934年10月13日[18]


同型艦



  • 筑摩 [I] - 矢矧 [I]


脚注




  1. ^ #10月 画像1『達第百九號 軍艦河内外四隻ニ左ノ通信號符字ヲ點付ス 明治四十四年十月三日 海軍大臣 男爵齋藤實 信號符字 艦名 GQHM 河内 GQHN 攝津 GQHP 筑摩 GQHR 矢矧 GQHS 平戸』


  2. ^ 浅井将秀『日本海軍 艦船名考』東京水交社、1928年、186頁。

  3. ^ ab『官報』第2055号、大正8年6月11日。

  4. ^ ab『官報』第2199号、大正8年12月2日。


  5. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。

  6. ^ ab『官報』第2884号、大正11年3月16日。


  7. ^ 『官報』第2934号、大正11年5月16日。


  8. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。

  9. ^ ab『官報』第3733号、大正14年2月3日。


  10. ^ 『官報』第3792号、大正14年4月16日。


  11. ^ 『官報』第3945号、大正14年10月16日。


  12. ^ 『官報』第3974号、大正14年11月21日。


  13. ^ 『官報』第376号、昭和3年4月2日。

  14. ^ ab『官報』第587号、昭和3年12月11日。

  15. ^ ab『官報』第870号、昭和4年11月21日。


  16. ^ 『官報』第1170号、昭和5年11月21日。


  17. ^ 『官報』第2224号、昭和9年6月2日。


  18. ^ 『官報』第2338号、昭和9年10月15日。



参考資料



  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5

  • 『造艦技術の全貌』興洋社、昭和27年。

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。

  • 『官報』


  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『10月』。Ref.C12070062800。


関連項目



  • 平戸 (海防艦) - 択捉型海防艦


  • ひらど (掃海艇) - 海上自衛隊かさど型掃海艇の11番艇






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